月はメンタルじゃなくて、フィジカル領域管轄だ!

今日は調べ物をしていて、「太陰暦」のことをふと思い出した。

 

種まきをするときも、新月を意識して植えると

いろいろとスムーズだったりする。

 

植物を私的に育てると、

育てる人と植物との個人的な関係性、

その調整度合いが強く影響するので、

月の影響よりもそっちが色濃く出ることも多いけれど、

そうはいってもベースは月である。

 

そのことと、太陰暦がハブられてから余計に、

人々は月に憑かれたように生き始めたのはなんでだ、ということを

考えていた。

 

そう、月のリズムで1ヶ月の節目となる太陰暦に従っていると

月にふりまわされててあかんやん、と一瞬思うけど

実際は逆で、物理的なリズムを、自然に月に沿わせておけば、

足るを知る、に自然にととのうように思う。

そして、感情は、自由なのである。

 

占星術において、月は感情管轄とされるけれど、

そっちに運用してはいけないのかもしれない。

 

太陽暦になったことで、感情が月に翻弄されるようになってしまって、

勝手に規則的に制限されるようになって、

その代わりに何が自由というか、無法地帯になったかというと

物理的領域、、

なにもかも、物理的にかさ増しして増殖したいというところに発端がある。

 

そう考えるととても自然なんだけど?

 

たとえばわたしは月が山羊座だけれど、

メンタルとして月をみてしまうと、

いつも無表情で、人の気持ちがわからないがむしゃらな人

という出方になるのだけど、

逆月としてひっくりかえすと、

太陽蟹座よりも、

もっと原理主義的な、

ピュアな逆さま蟹座的なキャラになる。

本能や激情的な意味での、

感情的なふるまいにはならないのだけれど

(むしろ、無表情で感情を全部しめだしているときが、

月山羊的な、感情の暴走だと思われる)

そういうのでない、人間らしさに満ちた状態になる。

 

そして、フィジカルとして月を見た場合、

たとえばわたしは、土星的、構造的な世界というものが

確かに月の嗜好性として好きなのだけど、じゃあ上手かといわれると

まさに欠損、まったくもって、下手くそである。

権力ももちろん、ない。

 

だけど、たとえばかばんや、棚や、そういったもの

箱的なものがしっかりしている、

そういうふうに意識して、物理的にととのえると、

いろいろなことがスムーズなのである。

 

そう、人になにかを頼むことが大事というけれど

まーさーに、この「月の要素」こそ、

自分でやろうとせずに、外から補う

金を出して買う

そういうことをするととてもいいんだよな、と気づく。

 

むずかしいのが、

そういった要素を欲する理由が、メンタルにあって

その欲求充足として、外から補う方向になっていると

「足るを知る」がわからなくなるので、それは違うんだ。

 

とはいえ、

感性がぶっこわれていないとき、

おなかがいっぱいになれば、人はそれ以上ほしいとは思わない。

 

そういう感じで、フィジカル領域の月を

外から借りたり補うことをし、

(住まいもそうだし、食生活傾向もそう。)

メンタル領域はそのオポジションとして自由にできるようにととのえると

とてもいい感じなのではないか?

と最近思っているので、メモでした。