混線と反転、、

各地でさまざまな、ローカルなおんぼろデータ管理システムに入力をする

底辺の係をずっとやりつづけてきて思うことは

「で、その集積した叡智を、誰がなんのために使うねん」ということだ。

 

ただ、集積することが目的となっており、

それらが有機的に関連し統合されることは決してなく

ワードサラダのように羅列されたまま雪だるま式に増えていくデータ、、

ビックデータ、、、

 

射手水星の洗礼で、

ものすごく集中して、ただしい言葉をみつける仕事

元型イメージを言語化する仕事 みたいなのはめっちゃはかどるかわりに

淡々と双子乙女的、ただしい水星の使い方が

完全にミスでだめだめになる感じで、

今日も、きちんと確認したはずのものが重複していたり

いろいろとそういう、些末な間違いがいろいろ起こって、

かたちとしては当然に、わたしがだめなひと、ということになった。

 

わたしは有機的に連携がしていないものを

数字で無理やり管理して関連つけることが全くできない。

 

その代わりに、ああ、あれとこれは関係があるなとか

そういえばあれはどうなったかな、的な直観はきちんと働く。

 

今日は、そういう「そういえば」という、有機的なデータベース管理ができていれば絶対におこらなかったミスが起こった。

トリガーはわたしの重複だったのだが、まわりにいる、その風景をいろいろとみてきたはずの人間が、いつもそれぞれを「羅列」でしかみていないため

気づきもしなかった、ということが起こった。

 

信用できるシステム、社会とはそんなものなのである。

かたちをととのえることに心血が注がれているが、それは生きていない。

 

わたしたちはそれでも、システムを信じるのか?

命をまかせても、いいのか?

 

そんなことを考えさせられた。