この世界の片隅に(2)

昨今ますます、

「これが貧乏で悲惨な風景です」

と描かれている世界に、

うわーつらそう、それだけは勘弁

どころか、

「いいなあ、あの方が楽しそう」

と心底思えてしまうわたしは

人間として壊れてきたのだろうか(笑)

 

野草を料理したり、

さつまいもと穀類を一緒に炊いたり、

ベジの人以外がみると貧しい栄養が足りないと定義される食生活は、

それがその地で取れたものであると、

ものすごく贅沢だし、ほんとうに豊かななのだ。

 

あのわたしにとって普通に美味しい食生活が、

貧しく悲惨な象徴と扱われるようになった理由は、

明治維新で肉食が入ってきて、その味覚と、

タンパクを取り入れたときの身体反応に中毒しているからではないか。

 

薬中とほとんど構造としてかわらない感じだろう。

それが、「お腹がとりあえずふくれておけば幸せ」系、

安直な子ども食堂的アプローチということだろう、、

 

この世界の片隅にが好きな人はまちがいなく子ども食堂派と思われる。。。

蟹座冥王星世代の特質というか、、

 

わたしが通っていたカトリックの、

頭が良い一流私立を落っこちた成金子女がたくさん集まる高校では、

修学旅行に、

業者と癒着してたのかなんなのか知らんが、

アホみたいな金額をかけさせられた。

 

東北1週間くらいの旅行で、たぶん数十万かかったはずだ。

 

その金額内訳はほんとうに今おもえばアホらしい。

 

エレベーターに金箔がはってあるような建物。

毎食毎食、高タンパクの料理が何十品も並ぶような旅館に泊まる故だ。

 

わたしと体質が似ている同級生は、

そのこってりした食事に疲弊して、疲れ切った。

 

対して、いつも普段からそういう食生活をしているであろう

同級生たちは、

平然と食べ慣れた感じで、楽しそうに過ごしていた、、

 

旅行を引率していた教師のひとりに、

戦争体験がある社会教師がいた。

彼は、さつまいもばかり食わされてほんとうに嫌な思いをした。

だから今もさつまいもだけは食いたくない

といつも言っていた、、

 

わたしは、いつもその話がぴんとこなかった。